色というと何を連想するのであろうか?
最初に思い出すのは、図示したように「色の三原色」(RGB or CMY)、次に「色空間」(L*a*b*表色系、マンセル表色系)及び色相環とカラーチャートである。
これらは確かに色を定義するために必要不可欠の要素ではあるが、果たしして色そのものといえるのであろうか。何か重要な要素が欠落しているように思えるが、よく考えると色はやはり「人間」のためにあるとみるべきである。つまり、人間の目で「カラー値」として検知し、脳で識別(弁別)して初めて色を知覚することができると考える。人間を強調した意味は、他の動物では色の認識が異なる(色を弁別できない動物が多い)からである。また一般に虹の色は7色(VIBRYOR、赤橙黄緑青藍紫)で表現されるが、人種によっては5色であったり、9色であったりするがそれでも正しい色として認識していることは共通のこととして捉えることができる。
写真家仲間で色の話をすると、色ありきで始まることが少なくないが、物体固有の色は固体、液体、気体に関わりなく固有のものとして存在しているが、それを色として知覚できるのは目で見て、脳で弁別して初めて色として感知されたことになる。だから色覚障害があれば色は無いか違った色に見えるし、何より盲目の人は色どころか何も見えないのである。

非可視光線は、ガンマ線(宇宙線)、X線、紫外線、赤外線、電波、マイクロ波、短波、中波、長波などがあるが、この中で紫外線と赤外線は可視光線として扱われるようになってきた。
以上の通り、「色」とは摩訶不思議な世界であるが色を生活の一部や芸術・アートとして享受できるのは人間しか存在しないのだから、大いに謳歌すべきである。