1.1 光の性質

1.1.1 光の二重性(­波動性、粒子性)

光が、波動か粒子かという問題は、ニュートン対ホイヘンス以来、古典物理学の問題であった。その後、干渉,回折,屈折等の事実の観測や、Maxwellの古典電磁気学による「光=電磁波」の予言と、Hertzによる電磁波の観測等により、「光=波動」は古典力学では確立されたと思われていた。ちなみに、「光=電磁波」の予言と実証は古典電磁気学の大きな成果といえる。ところが、まもなく、それでは説明できない現象が見つかる。即ち、

光電効果 光(紫外線、X線)を金属に当てると、電子が飛び出す。

であるが、これについてLenardは以下の結果を得た:

個々の電子のエネルギーは光の強さではなく波長による。どんなに弱い光でも波長の短い光ほど高いエネルギーの電子が飛び出す。 

飛び出してくる電子の個数は光の強さによる。

このことは、「光=波動」という考えからは説明しにくい。即ち、光が電磁場の波動であるとすると、電子はその電磁場によって揺り動かされてエネルギーを得ると考えられるが、弱い光ではエネルギーは小さくなるはずである。また、光が弱いときは単位時間に電子の受け取るエネルギーは小さいから、光が当たってから電子が飛び出してくるまでに時間がかかるはずであるが、実際にはそういうことはない。アインシュタインは、この現象に対し、プランクの仮説をさらに押し進めて、光量子仮説を提唱した。 

アインシュタイン(Einsteinの光量子仮説1905年):

振動数$\nu$の光は、 $h\nu$ なるエネルギーを持った粒子(光量子、光子)のように振舞う。光の強さは光子の数に対応する。

即ち、上の光電効果では、光(光子)が電子に衝突して、その電子をたたき出したと考えればよい。光子の量が多ければ(光が強ければ)出てくる電子の数は多くなるし、光子のエネルギーが大きければ(光の振動数が大きければ)出てくる電子のエネルギーは大きくなる。出てくる電子の持つエネルギーは 

Fig1_1_1_2a


E飛び出してきた電子のエネルギー、P:金属中の電子の束縛エネルギー、となるはずである。これは後にミリカン(Millikanによって確かめられた。その後、コンプトン(Comptonの実験1922年)によって、光子が電子と粒子同士の衝突のような弾性衝突をすることが確かめられた。 

 

1.1.2          電磁波

上述したように、電磁波は、空間の電場磁場の変化によって形成された波(波動)のことである。電界と磁界がお互いの電磁誘導によって交互に相手を発生させあうことで、空間そのものが振動する状態が生まれて、この電磁場の周期的な変動が周囲の空間に横波となって伝播していく、エネルギーの放射現象の一種である。そのため、電磁放射とも呼ばれている。

 

Fig1_1_1_1

・ヤング、フレネルとマクスウェル

1800年代初頭、ヤングとオーギュスタン・ジャン・フレネルによる二重スリット実験によってホイヘンスの波動説の証拠が得られた。二重スリット実験によって、格子を通った光は、水の流れが作るものと良く似た干渉縞を作る。光の波長もこの干渉縞のパターンから計算できた。光の波動説はすぐに粒子説に置き換わることはなかったが、粒子説では説明がつかない偏光等の性質も説明できることが判かり、1800年代中頃には光に対する主流な考え方になってきた。

1800年代終わり、ジェームズ・クラーク・マクスウェルは、マクスウェルの方程式により光は電磁波の伝播であることを示した。この方程式は多くの実験によって検証され、ホイヘンスの考えは広く受け入れられていった。

・黒体放射に関するプランクの法則

1901年、マックス・プランクは、黒体放射の光のスペクトルを再生することに成功したと発表した。この問題のために、プランクは放射線を発生する原子のエネルギーは量子化されているという数学的な仮定を置いた。後に、量子化されているのは原子ではなく電磁放射線自身だと提案したのはアインシュタインだった。

 

1.1.3 アインシュタインの光電効果の実験

Fig1_1_1_2

1905年、アインシュタインはそれまで問題となっていた光電効果に対して説明を与えた。彼はこの説明のために、光のエネルギーの量子である光子の存在を仮定した。光電効果では、金属に光を照射することにより、回路に電流が生じる。これは、光が金属から電子を弾き出し、電流が流れたものであると推定された。しかし、暗い青色の光でも電流を発生させるのに対し、強い赤色の光では電流を全く発生させないことが判かった。波動説によると、光の波動の振幅は光の強さに比例するとされ、強い光は必ず大きな電流を発生させるはずである。しかし、奇妙なことに観測の結果はそうならなかった。

アインシュタインは、この難問に対し、電子は離散的な電磁場(光子と呼ばれる量子)からエネルギーを受け取ると説明した。エネルギー量Eは光の周波数fと、次の関係式で結び付けられる。

Fig1_1_1_2b

ここでh6.626 × 10-34ジュールの値を持つプランク定数であり、十分高い周波数の光子のみが電子を弾き出せることが判かる。例えば、青色光の光子は金属から電子を開放するのに十分なエネルギーを持っているのに対し、赤色光の光子は十分なエネルギーを持たない。より高い周波数の光子は、より多くの電子を弾き出せるが、周波数が基準以下になると、いくら強い光でも電子は弾き出せないことが判かる。

アインシュタインは、光電効果の理論によって1921年度のノーベル物理学賞を受賞した。

 

・ド・ブロイの仮説

1924年、ド・ブロイはド・ブロイ波の仮説を発表した。この仮説は光子だけではなく全ての物質が波動性を持つとするもので、波長λと運動量pが次の式で関係付けられた。

Fig1_1_1_2c



これは、光子の運動量pp= E/c、光子の波長λλ= c/fcは真空中の光速度)とした、アインシュタインの式の一般化である。

ド・ブロイの式は3年後に電子について電子回折の観察をする2つの別々の実験によって検証された。アバディーン大学ジョージ・パジェット・トムソンは薄い金属フィルムに電子ビームを通し、予想された干渉パターンを得た。ベル研究所クリントン・デイヴィソンレスター・ジャマーは結晶格子に電子ビームを通して同じ結果を得た。

ド・ブロイはド・ブロイ波の考案によって、1929年にノーベル物理学賞を受賞した。トムソンとディヴィソンも1937年のノーベル物理学賞を分け合った。

・ハイゼンベルクの不確定性原理

ヴェルナー・ハイゼンベルクは、量子力学の公式化を進める中で、次のように表わされる不確定性原理を仮定した。

Fig1_1_1_d



ここで、

Δ標準偏差でxpはそれぞれ粒子の位置と運動量、\hbarはプランク定数を2πで除したものを表わしている。(\hbarh/4π

ハイゼンベルクは、初めのうちは自身の発見を、測定のプロセス上生じる現象だと説明していた。粒子の位置を正確に測定しようとすると運動量が乱され、逆に粒子の運動量を正確に測定しようとすると位置が乱される。しかしこれは、現在では不確定性の一部にすぎず、不確定性は観測のプロセスではなく粒子そのものに存在することが理解されている。

実際に、現在の不確定性原理の説明は、ニールス・ボーアとハイゼンベルクによって考案されたコペンハーゲン解釈に拡張され、粒子の波動性に明確に依存している。ここでは波動の正確な位置を論じることは意味をなさず、粒子の完全に正確な位置も決まらない。さらに位置が比較的よく定まると、波動はパルス状になり、波長は定まらなくなる。

ド・ブロイ自身は、粒子と波動の二重性を説明するためにパイロット波を提案していた。この考え方では、それぞれの粒子の位置と運動量は精度良く定まるが、シュレーディンガーの式に由来する波の性質も示す。パイロット波理論は、複数の粒子に適応すると局在性を示さなくなることから、初めは否定された。しかし、すぐに非局在性は、量子理論の積分により得られることが判かった。また、デヴィッド・ボームによってド・ブロイのモデルが拡張された。ボームの理論では、粒子と波動の二重性は物質自体の性質ではなく、粒子の動きによって生じるものとされた。